禅についての書籍を読んでいたら、坂村真民の詩『タンポポ魂』に出会いました。

踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする

最初は「弱そうなタンポポで何という力を見抜いたんだ」と思って感動しました。でももっと考えてみると「苦しむことで明るくなる?」という生き方に陥るのではないか心配になりました。

現実的に言うと、すべての苦しみを受け入れることは良くないと思います。たとえば、絵描きに安すぎる予算で仕事を注文する人がいます。その結果、絵描きはその仕事と生活のために別の仕事をしなければなりません。制作に使える時間が少ないため作品のクオリティが下がって、そして報酬の相場を低下させて絵描きという仕事が無理になってしまいます。

真民先生を理解するためにペソアを

真民先生を理解したくて、奥の深い詩を書くポルトガルの国民的作家フェルナンド・ペソア(1888年~1935年)でタンポポのような花の詩がないか調べました。次の詩『私の目はヒマワリのように澄んでいる』の一部を見つけました。

キンセンカのように世界に信じている。
私が世界を見ているから。でも世界について考えない。
考えることは理解することではないから。

考えるのではなくて、理解するのだ。これは禅のエッセンスでしょう。その後、私は真民先生の詩を何回も読んで本から離れて休憩しました。そこで気づきました。真民先生は踏みつぶされたタンポポになりたいと言っていません。若い頃にお父さんをなくして生活が大変だったので苦しみを美化していません。真民先生はタンポポをとおして身につけたい「根強さ」と「明るさ」を指していると思います。

これからはずっとタンポポを違う目で見ていきます。

ブラジル出身。14歳のとき日本の漫画に感銘を受け漫画家を志す。猛烈に漫画と日本語を勉強し東京造形大学大学院に留学。卒業後5年間IT企業の仕事に励みながら漫画を描く。現在はPresident Next で『マイ禅ダイアリー』を連載するなど、禅に夢中の漫画家として活躍中。

坂村真民の『タンポポ魂』は苦しみが良いという意味?

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